プロフィールを読んで頂き、有難うございます。
このプロフィールを見ていただいたこともなにかのご縁、今の時代をともに生きていること、それだけでも奇跡です。
海外でワクワクした経験をしてみたいっ、人生を変えてみたい、オーストラリアに興味ある方、是非メッセージを送ってください。そこからさらにご縁が先に続くことがあったら、嬉しく思います。
人生の転機 と決断
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1990年までは東京の町田在住。都立町田高校に進学し、東進ハイスクールとGEOSに通う。第一希望の高校で順風満帆な生活。1学期終わる頃、両親からイギリスに行くっと告げられ、最初は日本の大学に進学希望だったので、残る、とはいってみたものの、選択の余地なく、気持ちを切り替え、世界に通用するエンジニアを目指せる良い機会と思い、同意。
1991年1月1日 家族でイギリスにIN
とはいえ、全寮制で様々なBGを持つ日本人と共同生活。
理系の大学受験資格の発生する文部省認可校であった英国暁星国際学園へ編入。3月、高校1年終わりの春休み、はじめてブリストルの語学学校に通う。英語を使って、ヨーロッパ人の方達と交流できたことが嬉しく、高校に戻り、4か月受験勉強を徹底的に詰め込みで学び、同年の夏、語学学校で再度チャレンジ、このときに英語がはじめて口から溢れ出る、聞こえるという状態を体感し、そして世界の人たちとコミュニケーションをする楽しさを味わい、英語ってできると楽しいっと心から感じる。
この夏の語学経験や全寮制での生活のおかげで内向的な性格が人とのコニュニケーションを心から楽しめるようなポジティブな性格に変わる。 2年生の秋、高校3年生を含んだ全校英語単語テストで3位に入賞。ケンブリッジ検定PET合格、 FCEぎりぎり不合格。
1993年1月 帰国
イギリスの大学進学も悩みつつも、受験から逃げたくない・日本で学ぶほうが将来ビジョンがつくりやすい、という判断で、日本の大学を受験しに日本へ帰国。電子立国日本、幅広い分野で活躍ができる電子工学に専攻を絞る。芝浦工業大学に進学を決定。
1997年4月 NECホームエレクトロニクス(株)に就職。
小田原、NEC湘南テクニカルセンター(STC)に勤務、CRTモニタの回路設計、電磁波対策というコアな電子工学関連業務を3年ほど、日本の技術者が積み上げた設計基準に大きな感銘を受けながら、必死に現場で学ぶ。山でこもっていたような生活スタイル。
1999年12月 アメリカ・メキシコ出張から留学を決意
担当した製品のメキシコ工場での立ち上げサポートのため、2か月アメリカ・メキシコ出張。
工場内でITによってすべての工程がコントロールされているのを見たとき、ITは様々な世界にとんでもない効率性を生み出す力があるというのをはじめて理解。
いずれ 人間の仕事もその力によってなくなる部分が大きくなっていくとき、依頼されて数百人態勢で製品製造する側の一員でいることに大きなリスクがありうると感じ、いろいろ 考え始める。
一エンジニアとしてのこの仕事はある程度やれば誰でもできる、自分の代替えが利く仕事だな、ということを感じたこと、
電機業界の世界競争が激しく会社も大赤字、4500人いたテクニカルセンターもリストラの波の中で半数以下に、そして会社も分社化していく流れの中、特に非常に高い知識と技術、経験値を有している先輩達の多くが肩たたきのような待遇にあっていたこと、CRTモニタ自体、世の中から淘汰されていく過程にあったこと(その後完全に世の中からなくなる)
3年社会勉強してから留学をしたいと思っていた、などいろいろな要素がありましたが、一番強かった思いはこのままエンジニアを続けるのは生きながら、死んでいるような感じがしたこと、自分という人間が最大限活かされる世界がきっとある、その 心の中からの声を受け入れることに。
25歳(出発予定時)、まだ冒険できるかな、と思い、留学を実行に移すことを決意しリサーチをはじめる。
世界で通用する人材に、人に情熱やモチベーションを与えられるような、そんな人間になれるように、自分の技術を持って人に感動を与えられるようなことができるように、
ひとつの技術を身につけるのに大学・社会経験で7年以上時間を投入していたので、後からの参加でも創造力で自分次第で世界に通じるなにかを創れるような分野、200%自分が情熱をかけられる分野、ビジネス、IT、インターネット、創造、デザイン、教育、サービス、などをキーワードにする。
なかなか良いコース・条件がアメリカ・イギリスで見つからなかったところでNOVA仲間の一人がアメリカからオーストラリア留学に移るところでJUNもオーストどう?という その一言でオーストラリアを調べてみたら、プランが組みやすい、安め、質がそれなりに高い、分野によってはこの国でも十分面白い事が出来る、日本人でオーストラリア大学院留学、というのは少数派で まだ未開拓なところで何か面白いチャンスがあるかもなどと思い、豪州留学に決定。
2000年1月
厚木駅前のイーオンに会社帰り、毎週水曜日にTOEFL対策コースに2か月通い、573点を取得。2000年6月に退社、Queensland University Of Technology、ブリスベンに2000年7月に留学、 6か月付属の英語学校で一般英語コース、そして進学準備コースを取得、その後、Master Of Communication Design専攻
2002年12月卒業
マルチメディアデザインとインターフェースデザイン、プロジェクトマネージメントを学び、通信ソフトの制作とそれを用いたProject Managementを政府機関とともにできるチャンスに恵まれる。
卒業後、プロジェクトを続ける道を模索している中、日本のエンジニアの学位と経験とこの国で修士号を取得したことで永住権の取得可能性があることを知り、4−5社に相談にいくも、法律事務所すら、明確な答えがもらえなかった中、友人のバイト先のエージェントで
100%通過するから問題ない、とシドニー本社のプロの方から査定を受け、お任せすることに。
永住権を待っている間に、”日本人マーケットを開拓したいので仕事してみませんか?” というオファーを自身のケースを依頼したビザ・留学エージェントの方からいただき、2003年3月ブリスベンで留学相談、永住権に興味のある方をタイ人オーナーの会社に紹介を開始、これはなんと面白い仕事が世の中にあるものだっと感動を覚える。
2003年6月
修士号プロジェクトのコーディネータであった学部長より博士号へ学費無料とさらに年間12000ドルの提供というオファーを正式に獲得。また日本で共同実験に協力してくださっていた教授とベンチャー企業をつくる、というお話もいただき、またこのタイミングで永住権も取得、さらに留学・ビザコンサルティング会社のシドニー本部より正式なフルタイムでの雇用のオファーと、3つのチャンスが目の前に現れる。
この年1月に”7つの習慣”に出逢い、雷に打たれたような感銘を受ける。
未知なる世界で航海に出る際の 海図となる本であり、あらゆる人がどんな環境でも自身の精神の在り方で本当の意味で人として成功できるという真理が書かれていました。
2003年8月
7つの習慣を実践し、信頼を築いていく世界で自分自身を試したい、その思いから、Face to Faceで信頼を築いていくことをチャレンジすることができる留学とビザコンサルティングの会社からのオファーを選び、誰も知り合いのいない未知の土地、シドニーへ移住。
‘1mmの設計のずれも許さないエンジニア精神で情報サービスをご提供いたします‘
をうたい文句に、自身のパーソナルブランディングとチームとしての強みをアピールする広告をデザイン、 オフィスに来ていただいた方達に あらゆるビザのこと、留学のプランニング、学校内で困っている、転校したい、あらゆる問題や錯乱している情報の中で困っている方達のサポート、情報追求を試みる。
一人も知り合いのいない世界で、出会う方達にたくさんのことを学ばせて頂きながらお客様がオフィスに来てくれて、ご縁をいただき、つながっていく、そのなかで信頼をいただき、来ていただいたお客様の友人、知り合い、そして友人の友人から知り、来ていただいた、というような影響の輪が広がっていくことがおき始める。
こんなに出会いが溢れて、そして自分という存在が誰かのためになれる、それがあまりにも嬉しくて、さらに継続していくことに。
2005年10月
シドニーにてICNオーストラリア留学情報館という
留学コンサルティングの会社を設立。
雑誌やウェブでは決して手に入らない情報がある、その情報一つで感動することがある、
その情報一つで人生を変えることにもなる
知識や情報は知っているか知らないかだけで、大きく人生が変わることになります。様々な情報が錯乱する中、良質な情報にいかにアクセスができるか、そのことがこれからの時代はより大切になります。そんな大切な情報を常に提供できるように、たくさんの方達の経験をいつも現場で聞き、ベストな留学プランをご提供できつくれるように、たくさんの方に先ずっと繋がっていたいって思っていただけるように、そのためのプロになるために、日々精進しております。
設立後、1-3年、苦しい時期もありました。でもそんなときに、有り難いことに
必ずぎりぎり持ちこたえらえるだけのお客様が口コミで現れてくれる、
それが何度も、何度も続きました。
そんな中、ある日、歩いていたときに、一瞬宇宙につながったような、また雷が落ちたような感覚を突然、覚えたときがありました。
今歩いているこの道を作ってくれていた人達、自分が今着ている服や靴、当たり前のように食べている食べ物、家や会社のビルを作ってくれた方たち、あらゆるサービスを提供していただいている方達、そういう方達と別意識レベルでつながったような感覚で、世の中のたくさんの、まったく知らない方達に恩恵を受けていながら、生かされていることへ、溢れ出る感謝の気持ちと幸せな気持ちで満たされる感覚を味わいました。
当たり前のこと、なのかもしれないのですが、それまで体感するまでの感覚はなぜか持てなかったのですよね。 同時に、 自分が恩返しをできることは、目の前の方のために一所懸命となり続けることに集中していくこと、それが明確に答えとして理解することができました。また心の中にあった未知なる先への恐れを手放すことができたきっかけのひとつとなりました。
その後、それまではシドニー現地に居る方にご利用いただくことがほとんどでしたがインターネットを介して、日本、また世界中からお問い合わせをたくさんいただくようになりました。
私が留学を志したとき、具体的にはなにがやりたいか、細かく絞ることはなく、日々の中で
発見することから、自分のスキル、アイデア、経験などを融合させて、何か 少人数のチームで創造できたら、と思っていました。また20歳の頃、30歳までに起業したいと思っていたことがあり、忘れていましたが、実際に そうなってきており、いろいろな書物にある、思考は現実化する、ということは実感しております。
また日本で社会人として働いていたことは全く関係ないように見える現在の世界でもあの時の経験が多々役に立つことがあります。 人生に無駄というはないんだな、ということは心から思いますし、また今この仕事の価値、喜びが 心の底から無限にわいてくるのもまた日本での経験があったからこそかもしれません。数百倍は楽しいと心から感じることがどれほど幸せなことか、本当に有り難いことです。
私を含めてICNのスタッフはオーストラリア留学に関するプロを目指し、日々、最新情報を追っています。これから未知なるこの海外で、理想の留学を実行していただくため、私達は、暗闇の中で時に貴方の足元を照らす懐中電灯のような、またときには暗闇の中の灯台となれるような役割を果たしていければと思っております。
皆様のワクワクするような人生の冒険をスタートするとき際に、安心してご利用いただけるように、ミッションステートメントに従い、サービスをご提供させていただきたいと思っておりますので、是非、お気軽にお問合せをいただけると大変嬉しく思います。
ICNオフィスでは人生の選択のときに良い道標になるタイプの本を数百冊、取り揃えており、また毎月、様々な本を日本から取り寄せては貸出しもしております。
人生に変革をもたらすにはまず一歩を踏み出すこと、私達はその一歩を踏み出された方を全力で応援したいと思っております。
お読みいただきありがとうございました。
廣瀬 淳
ICNオーストラリア留学情報館代表
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